Sketch

『悪の凡庸さ』 - In dreams begin the responsibilities -.

Monday, December 9, 2013.

アドルフ・アイヒマン (1906-1962)

1932年ナチス親衛隊入隊。1935年ユダヤ人担当課に配属され、ユダヤ人追放のスペシャリストとして頭角を現す。終戦までユダヤ人列車輸送の最高責任者を務めた後、バチカン発行のビザと偽名を使い、アルゼンチンへ逃亡。1960年イスラエル諜報部(モサド)に拉致され、1962年絞首刑に処せられた。

ハンナ・アーレント (1906-1975)

哲学者。1961年、アドルフ・アイヒマン裁判を傍聴するためイスラエルに渡航。1963年、アイヒマン裁判のレポートをザ・ニューヨーカー誌に連載し、全米で激しい論争を巻き起こす。同年「イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」として単行本化されたアーレントのレポートは、ホロコースト研究の最重要文献のひとつとなった。

http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html

『悪の凡庸さ』

アーレントがアイヒマン裁判のレポートで導入した概念。上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうということ。悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう事態を指している。

「海辺のカフカ」(上 巻) P.226-227  村上 春樹 著

何両連結の滑車を用意し、ひとつの滑車に何人のユダヤ人を詰めこめばいいか。そのうち何パーセントが輸送中に自然に命を落とすことになるか。どうすれば最も少ない人数でその作業をこなすことができるか。死体はどうすればいちばん安あがりに始末できるか――焼くか、埋めるか、溶かすか、彼は机に向ってせっせと計算する。計画は実行に移され、ほぼ計算通りの効果を発揮する。戦争が終わるまでおおよそ600万(目標の半分を超えたあたり)のユダヤ人が彼のプランに沿ったかたちで処理される。しかし彼が罪悪感を感じることはない。テルアビブの法廷の防弾ガラス張りの被告席にあって、自分がどうしてこんな大がかりな裁判にかけられ、世界の注目を浴びることになったのか、アイヒマンは首をひねっているように見える。自分はひとりの技術者として、与えられた課題にたいしてもっとも適切な解答を提出しただけなのだ。世界中のすべての良心的な官僚がやっているのとまったく同じことじゃないか。どうして自分だけがこのように責められてなくちゃならないのか。

静かな朝の森の中で鳥たちの声を聞きながら、僕はその「実務家」の物語を読む。本の後ろの見開きに、大島さんが鉛筆でメモを残している。僕はそれが大島さんの筆跡であることを知っている。特徴的な字なのだ。

「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the respnsibilities ――まさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。このアイヒマンの例に見られるように」

大島さんがこの椅子に座って、尖った鉛筆を手に、本の見返しにメモを書き残す光景を僕は想像する。夢の中から責任は始まる。その言葉は僕の胸に響く。

Eichmann studied how many Jews could be packed into each railway carriage, what percentage would die of "natural" causes while being transported, the minimum number of people needed to keep this operation going, the cheapest method of disposing of the dead bodies - burning, or burying or dissolving them. Seated at his desk Eichmann ported over all these numbers. Once he put into operation, everything went pretty much according to plan. By the end of the war some six million Jews had been disposed of. Strangely, the guy never felt any remorse. Sitting in court in Tel Aviv, behind bulletproof glass, Eichmann looked like he couldn't for the life of him work out why he was being tried, or why the eyes of world were upon him. He just a technician, he insisted, who'd found the most efficient solution to the problem assigned him. Wasn't he doing what any good bureaucrat would do? So why was he being singled out and accused?

Sitting in these quiet woods with birds chirping all around me, I read the story of this practical guy. In the back of the book there's a pencilled note Oshima had written. His handwriting's pretty easy to recognise.

"It's all a question of imagination. Our responsibility begins with the power to imagine. It's just as Yeats said: In dreams begin responsibility. Turn this on it's head and you could say that where there's no power to imagine, no responsibility can arise. Just as we see with Eichmann."

I try to picture Oshima sitting in this chair, his usual nicely sharpened pencil in hand, thinking back over this book and writing down his impressions. In dream begins responsibility. The words hit home.

以下、映画「ハンナ・アーレント」最後の8分のスピーチを脚本より一部抜粋。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/

「彼のようなナチの犯罪者は、人間というものを否定したのです。そこに罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。何度も繰り返しね。"自分は自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は存在しない。命令に従っただけなのだ"と」

演壇を行ったり来たりしてながら話すアーレント

「こうした典型的なナチの弁解でわかります。世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人間には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶したものなのです。そしてこの現象を『悪の凡庸さ』と名付けました。」

(中略)

「ソクラテスやプラトン以来私たちは"思考"をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを否定したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事を重ね。私は実際、この問題を哲学的に考えました。"思考の嵐"がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける能力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況であっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう、ありがとう」

  1. Note
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