「させていただく」という言葉の弊害 | 002 ::: tetsu shirahashi site | cattiveria ::: 白橋 哲 site | カッティベリア :::

「させていただく」という言葉の弊害 | 002

.2006.01.29. / note / sketch

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何故、「させていただきます」というような表現が定着してしまったのでしょうか。それは、いまだにこの国の < 社会 > では、責任の所在がはっきりしない communication のほうが都合が良いからです。つまり、 < わたし > という主語をはっきりさせないほうが「カドがたたない」のでしょう。

しかし、『責任』は『決定権』とは不可分であることはよく考えればわかることです 。
例えば、ある組織で、ある特定の人間に『責任』を持たせる場合、同時に『決定権』を持たせないと仕事にならないし、その組織内の communication すら機能しなくなるのは自明のことです。

つまり責任者というのは決定権保持者のことを指すということですし、すすんで risk を負うことになります。それに当然のことですが、『決定権』を持つ人物は突出します。人間的に変わっているから注目されるとか、偉いから目立つと言うわけでもなくて、その人物の『決定権』がその人物をグループの中で特別な存在にする、ただそれだけです。

ですが、わたしたちの < 社会 > は、どういうわけか組織やグループの中で個人が突出することを嫌います。

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よく報道などで、会社の不祥事の news の際、経営者に当たる人たちが「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げたり、マスコミや被害を受けておらず、何の関係もない人たちが「責任者を出せ」と怒鳴りつけたりする景色を見ることと思います。この場合いつも思うのですが、そもそも「誰」に「迷惑」をかけたのでしょうか?
また、そもそもその「迷惑」というのはどんなことなのでしょうか?
そして、「誰」に謝罪しなければいけないのでしょうか?

つまり、この景色は < catharsis > しか生み出さないし、その謝罪を見ればその事件に関係のない多くの人びとはそれで満足し、その事件や被害者のことなど、いつのまにか『過去のこと』として忘れてしまうでしょう。まず「誰だ、誰だ」とある意味「犯人探し」を優先させるよりも、「何故、そのような不祥事が起こったのか」言い換えれば、

「なぜ失敗をしたのか」、「なぜその選択をしたのか」、ということを検証し、そして、「二度とそのようなことを起こさないようにする」、「どのような『再発防止』の案があるのか」という 検証する process のほうがはるかに重要だと考えます。

つまり、 < 誰か > ではなく < 何故か > ということのほうがより重要であるということです。たとえ < 誰か > を探したところで、「再発防止」にはまったく役に立たないでしょうし、その後被害者への「補償」についても厳密ではありません。何も関係の人たちが「誰だ」「誰だ」と犯人を捜したり、誹謗中傷したり、責任を擦り付けたりするということが多く見られますが、それは「自分には関係ないこと」として切り離し、その立場と「入れ替え可能」という context はその人たちの中にはおそらく存在しないのでしょう。

これもあまり興味のないことですが。

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この『入れ替え可能』な < 現代社会 > で生きていくうえで「優先順位を決める」ということは、重要なことであると考えます。 例えば、近代社会と違い得られる情報の量は無数に存在し、また、今まで < わたし >(= 自分 ) を支えていた base が『入れ替え可能』ということである意味機能しなくなり、その base を維持することは容易ではなくなっています。また macro で見ても、< 社会 > を支えていたはずの『中間集団』 というものは、『多様性』に変化して、< わたし > が < 社会 > に commitment することも近代社会のように容易ではありません。

(中略)
ヒノは心臓が口から飛び出しそうになり喉がカラカラに渇いた。だが、不思議なことに作業のスピードは落ちなかった。恐怖が和らいだわけではない。ヒノは今でも恐かった。だが、恐怖を自覚するのと、気づかないふりをしてごまかすのはでは対処の方法が違う。恐怖とその対象を認めなければ、恐怖に対応できないのだ。ヒノは小便を漏らしそうなくらい恐いが、コリョが現れたときにどう対処するかわかっている。不安や恐怖があっても、それを自覚してどう対応するか自分で決めることができたら、とりあえず立ち向かっていけるのだ。

(「半島を出よ(下)」村上龍著 P.392)

つまり全ての面において「優先順位を決める」ということは『有利』であるということです。

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では、一体「誰」に「させて」「いただく」のでしょうか。

それは、実体のない『記号』としての、または神話としての 「集団」=「世間」という束縛、すなわち大小さまざまな『共同体』のことでしょう。おそらくこの国では昔から、外からは見えない特別な『共同体』があって、その中では前述のように < 流動性の低い社会 > に生きていると錯覚して、『価値観の変動』を感じず、実はそれが個人や社会の国際化を拒んでいると言えます。

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これは <わたし>の職業(肩書)についても同じことがいえるのではないかと思われます。

わたしたちは、その「誰か」がいる集団、いわゆる「社会」に認めてもらわないと、<わたし>の職業は語れない。そのためにはまず、「会社」という一つの『庇護社会』に入らないと「一人前」とは呼ばれず、自分は risk を負わずして、『自己決定』で進めている人を無意識に見下すという、<近代社会>の scheme は残念ながら、いまだ存在しているようです。また、『生き方』や『考え方』を<わたし>(=自分)のことは自分で決める、という『自己決定、自己責任の原則』に基づいて何かをやろうとすると、ものすごく cost が掛かかるし、その実体のない「集団」に無意識に縛られていくことになるようです。

このようなこの国の frame では本当の意味での『責任』どこにあるのでしょうか。

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詩人 T.S Eliot のいう「うつろな人間」たちが多く生きているこの空疎な < 現代社会 > において、そのかかる cost を省みず、『正確な communication 』を行い、『責任: responsibility 』を取っていくことは、実は非常に『有利』に働いていくと考えています。

::: references :::

「 e メールの達人になる」
村上 龍 (著) 集英社 ISBN: 4087201198

「半島を出よ」(下)
村上 龍 (著) 幻冬舎 ISBN: 4344007603

「ハバナ・モード Men are expendable (Vol.8)」
村上 龍 (著) KK ベストセラーズ ISBN: 4584180342

「対話のレッスン」
平田 オリザ (著) 小学館 ISBN: 409387350X

「対話の回路-小熊英二対談集」
小熊 英二 (著) 新曜社 ISBN: 478850958X

「単一民族神話の起源 ―「日本人」の自画像の系譜」
小熊 英二 (著) 新曜社 ISBN: 4788505282

「いま、歴史問題にどう取り組むのか」より「第三章 日本の戦後補償問題解決への提言」
佐藤 建生 (著) 岩波書店 ISBN: 4000221116

「日本はなぜ敗れるのか-敗因 21 条」
山本 七平 (著) 角川書店 ISBN: 4047041572

「健全な肉体に狂気は宿る-生きづらさの正体」
内田 樹・春日 武彦 (著) 角川書店 ISBN: 4047100064

「弁証法はどういう科学か」
三浦 つとむ (著) 講談社現代新書 ISBN: 4061155598

「限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学
宮台 真司・北田 暁大(著) 双風舎 ISBN: 490246506X

「海辺のカフカ」
村上 春樹 (著) 新潮社 ISBN: 4103534133

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