「オレの見る限りでは、あんたは頭は悪くないみたいだけどね」


「そうでありましょうか」とナカタさんは首をひねって言った。「しかしオオツカさん、今となりましてはナカタはもう60をとっくに過ぎてしまいました。60を過ぎますと、頭の悪いことにも、みんなに相手にされないことにも、慣れてしまいます。電車に乗れなくても生きていけます。お父さんはなくなりましたので、もうぶたれることもありません。お母さんもなくなりましたので、もう泣くこともありません。ですので、今さら急にお前の頭は悪くないと言われましても、ナカタはかえって困るかもしれません。頭が悪くなくなったせいで、知事さんからホジョがいただけなくなるかもしれません。とくべつパスで都バスに乗れなくなるかもしれません。なんだ、お前は頭が悪くないじゃないかと、知事さんにしかられたら、ナカタは返事のしようがありません。ですので、ナカタはこのまま頭が悪いままでいいような気がするのであります」

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「…でも、どっちも一緒なんだよ、結局つまらないことをやってるし、ありとあらゆるものがね、つまりわたしが言っているのは教科書とかテレビとか週刊誌とかそういうものすべてのものがどうでもいいことばかり言ってて、でも本当は悪いけどどうでも良くなんかないんだよ、どうでもよくないことが本当はあってそれを捜そうとすることがね、捜そうとしてもね、ああ、わからない、わからないよ、ソリマチさん、絶対にうまく言えないよ。わたしはサナダ虫を大切にしてきたわけでもないんだよ」

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誰もが自分の食べたいものを食べていて、無理をしていない。等身大という言葉があるが、居酒屋は常に等身大で、期待を大きく上回ることはないが、期待を大きく裏切ることもない。

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他人の笑い声は暴力的だ。二人の主婦の笑い声が聞こえてきたとき、ぼくの目の前にいる老人は飲むヨーグルトのほうに伸ばした手の動きを止めた。老人はその笑い声が起こったほうに首を回したが、対象に正対する前に首の動きを止めた。老人の顔は、乳飲料の棚と、笑い声が起こった方向のちょうど中間あたりで止まった。そのあと老人の顔が変化した。きっと不愉快になったのだと思う。自分の知らないところで、何かが起こり、それは笑い声として彼まで届いた。自分はそのことに関わりがない。その笑い声は老人に向けた何らかの信号ではない。老人は自分が笑われたのではないかと思っているわけではないが、なぜ二人の主婦がわかったのかわからない。笑い声は、このコンビニの外の通りを走るサイレンの音とは違う。救急車の音は外の世界の出来事で、二人の主婦の笑い声は完全に外の世界の出来事だとは言えない。

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通りにはやはり人の姿は見えない。盆地を横切って美しい川が流れ、通りに沿って小さな建物が並び、等距離を置いて並んだ電柱が地面に濃い影を落としている。僕は一瞬そこに凍りついてしまう。たとえなにがあろうとそこに引きかえさなくてはと思う。せめて夕暮れまでそこにとどまろう。夕暮れになれば、ズックの袋を持った少女が僕の部屋にやってくる。僕が必要とすれば、彼女はいつもそこにいる。胸が急に熱くなり、強い磁力が僕をうしろに引き戻す。足がまるで鉛を埋めこまれたみたいに動かなくなる。ここを過ぎてしまえばもう二度と彼女に会うことはできないんだ。僕は立ち止まる。僕は時間の足取りを見失ってしまう。前を歩いていく兵隊たちの背中に声をかけようとする。僕は戻らない、やっぱりここにとどまります、と。でもそれは声にならない。言葉は生命をうしなってしまっている。

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